一分の救い(ノンフィクション風の物語)⑫
1度目の危篤を乗り越えてから母の様態は急激に改善した。
まず、数ヶ月にわたって塞がらなかった手術のメスの跡がふさがった。
後にベテランの看護師が「この傷は絶対に塞がらないと思っていた」と打ち明けてくれたが、やはりそのレベルのストレスが母の肉体にはかかっていたということである。
また、点滴治療をしても一向に減らなかった腹水がある程度コントロールできるようになってくる。つまり、ぱんぱんに膨れていた腹がへこんできた。
そして、うなされ続けていた意識がはっきりとして通常の会話が戻ってきた。
食欲が出てきて、食事を楽しむようにもなってきた。
肝臓病の症状は、出血傾向(血が止まりづらくなる)や腹水、意識障害が主なものでそのとおり苦しんでいたが、危篤状態を境に何かを乗り越えたと見えた。
まだまだ健康体には程遠いが、それまでの地獄のような日々を思えば笑えるときがあるだけでも幸せだった。
たまにベッドを上半身だけ起すこともできるようになり、同時に胸の点滴の管がとれて、点滴は腕に針をさすようになった。それだけ回数が減ったということでもあり、輸血の必要もなくなってきたということである。
ある日、私が病室へ行くと母の姿がなかった。
全く、考えてもみなかった光景だったので、仰天した。
緊急事態かと思い、看護師に状況を聞こうと真っ青な顔で廊下にでた。
すると、なんと母がキャスターつきの歩行器につかまって歩いていた。
部屋に入る前に私の視界には捉えられていたはずなのだが、まさか母が廊下にいるとは思いもよらないので気づかなかったのである。
お気に入りの看護師のAさんが付き添っていてくれた。
幼児が歩みをおぼえたときのような危なっかしい足取りであったが、母が自分の足で立っているのをみるのは1年ぶりだった。
たった10メートルくらいの歩行であったが、私は本当に奇跡が起きたと感じた。
しかし、この幸せは長くは続かなかった。
(つづく)