一分の救い(ノンフィクション風の物語)⑭
身内が臨終する際には不思議な体験をするという。
実際に自分が直接聞いた話もいくつかある。
そして、私もその体験をすることとなった。
その日、私は出身高校の文化祭を訪れていた。
柔道のOB戦に出場するためである。
公式戦ではないので、母の具合が悪ければパスするところだが、順調に回復をしていたので、参加していた。
OBと現役が紅白に分かれて、端から勝ち抜き戦をしていくという仕組みだった。
通常は、年長者が1年生の白帯と当たって、若いOBは最後の方に出ていくのだが、その日、大学の研究室にも行かなくてはならない用事があったので、無理をいって1番最初に出させてもらった。
当時、私はバリバリの大学生選手だったので、高校生全員を抜いてみせるつもりだった。しかし、信じられないことが起こる。
開始数十秒で1人目の高校1年生に内股できれいに投げられてしまったのである。
場内は、割れんばかりの拍手喝采だった。
のちに「先輩は用事があるので、わざと投げられたのだということになってました」と後輩たちがいっていたが、私が手を抜いていたのではなく本当に投げられたのだ。
まあ結果的に高校生の良い引き立て役になったので、それほど悪い気もしなかった。
そして、時間になったので試合の途中ではあったが、私は中座して大学へと向かった。
電車と徒歩で80分ほどかかる。
途中S駅で乗り換えが必要で、私はS駅の構内を歩いていた。
すると、、、
雑踏の中から知っている顔が現れた。
大学の研究室の後輩の女子Oであった。
Oは私を見つけると、むこうから近づいてきた。
私は「奇遇だね。こんなところで会うなんて」と声をかけた。
大学近郊の駅ならまだしも、S駅は普段私は使っていない駅である。
また、その日は日曜日だった。
するとOは、信じられないひとことを私に告げた。
「先輩、お母様のところへはもういかれたのですか。」
私は、一瞬何をいわれたのか理解ができなかった。
「どういうこと」と問うと、
「わたし、今日、実験があったので研究室へいってたんです。そうしたら守衛さんが来て先輩が研究室に来られたらすぐにお母様の病院へ行くように伝えてくれといわれました。しばらくお待ちしてましたが、私も次の用事があるので、先輩の机に書き置きをして出てきました」
という。
携帯電話もない時代だ。
私は当日、出身高校へ行くことは父にも兄にもいってなかったので、家族は大学へ連絡をしたのだった。しかし、日曜日は電話の交換室ではなく守衛室に電話がつながりそこから研究室につなげる仕組みにはなっていなかった。
しかし、事情を聞いた守衛さんが研究室に駆けつけてくれたのである。
私は、礼のことばもいわず駆け出していた。
幸い、これから乗る電車を途中下車する駅に母の病院はあり、30分もかからずに着けるはずだ。
電車に乗りながら考えた。
自分が病院につくのは30分もかからないが、母の病状に異変がおきてから数時間はたっているはずだ。「本当に覚悟が必要だ」と。
私が病院に着くと、2度目の危篤状態をききつけた親戚が再び集まっていた。
前回と違うのは、私の到着が最も遅かった点である。
私は、直線的に歩いて病室に入って母と対面した。
前回は気を発している母の姿があったが、
今度ばかりは違っていた。
そこに横たわる母の姿はすでに骸に近いと感じた。
(つづく)